その歌声には希望を乗せている-Going with Zephyr

A.B.C-Zニューアルバム「Going with Zephyr」。新しい風を吹かしていこう、という決意のアルバムが最高で最強なので、特に好きだなと思った曲の感想をコンサートが始まる前に残しておきたくてメモ。

今回は五人の普段のキャラクターを抜きにした、歌い手としての彼らの歌声を堪能できるのも新境地だなって思う。かっこよさとか色っぽさだけじゃなくて、優しさとか切なさ、強さ、五人ともすごくしなやかに、色彩豊かにそれぞれの曲を歌ってる。アクロバットやダンスが売りの彼らだけれど、このアルバムは音楽でもがっつり勝負してるところが、新しい風吹かしてる~!って感動した。ただ「ドキナツ2017」とか「トリプルラッキー!!!」みたいな曲とか、個性全開やりたい放題のソロ曲とかユニット曲がなくて、それがちょっとだけ寂しくもあったりするし(笑)、逆に王道アイドルセクシー曲の「Black Sugar」がこの中だとちょっと異色に聴こえたのが、おもしろい。でも全体を通してアルバムのコンセプトがブレてないのは、1枚の作品としてすごく聴きごたえがあった!(わりといつもA.B.C-Zのアルバムはガチャついたおもちゃ箱のような印象がある)

 

  • Crush On You

新たなA.B.C-Zの世界観へいざなってくれる最高の1曲目!“新しい風を吹かしていこう”という今作の色をまさしく示している曲。細かい音一つひとつが丁寧に作り込まれているなっていう印象があって、隙がない。そしてギラついてないのにかっこいい。肩の力が抜けてるかっこよさ、っていうのがすごく分かる。ただ2番のあとの間奏で突然のジャポニズム感あふれる音が来るのが面白くて、唐突に挿まれるジャニーズのワールドにちょっと笑った。2番Bメロの「もう逃げない。」のかわいくんの歌声はただただスキ…と顔を覆いたくなる。2番Bメロ最後をかわいくんが歌い上げる=天才という法則があります。例:Vanilla

 

  • Welcome to the Night

「Crush On You」からこの曲への流れが、アルバムの導入として素晴らしすぎる!天才!完璧な流れの二部作。さらに3曲目の「Move That Body」にかけて、めちゃくちゃ踊りに誘ってくるやん、オトナA.B.C-Z…。系統でいえば4曲目「Saw me tight」までが同じノリだと思うんだけど、正直この2曲目で完落ちを狙われている気がする。甘くて優しいけれど、絶対に離す気はないような強気さも見え隠れしてるのがたまらなく好き。ここで完全にA.B.C-Zに身を委ねてしまう、そんな心地の良い曲。Bメロのテンポとかサビの後半の三連符とか、フワフワと気持ちよくてつい身体がノっちゃう。コンサートではどんなダンスになってるのか今からとても楽しみだし、こっちも一緒になって身体を揺らしたいし、hey!とか声出したい!

 

  • Saw me tight

はっしーの歌声大勝利。だから、1番を全部はっしーが歌うの大大大正解だし、それをあとの4人が順々にハモるという構成もすごく好き。かわいくん→戸塚くん→塚ちゃん→五関さん、だよね多分。『アナタ』と歌うときと『君』と歌うとき、目線が変わってると思うんだけど、はっしーが歌うのが『アナタ』へ向けたパートなのも天才。色々と構成が素晴らしい曲…。2番以降も全員で歌うパートはなくて、メインで誰か一人の歌声(+ハモりもメンバーの一人だけ)で囁くように歌い繋いでいるのがよくて、ふたりだけの狭い世界がそこにある。一対一の甘い空気が満ちた曲になってる。まさに歌詞にある『目と目が合って 頬に触れられる』距離感を描いていて、くすぐったさが愛しい曲。

 

この曲はめちゃくちゃクセになる。結論からいうと今作で一番好きな曲かもしれない。アルバムの中でかっこよさの路線がこれだけ違う(笑)。かわいくんが好きそうなかっこよさである…。ゴリゴリの男臭さと暑苦しさ、でもA.B.C-Zが歌うことでそれが中和されているというか。これ、デモの段階だともっと暑苦しかったんじゃないかな?ラジオでも、歌入れしたら印象変わったってメンバーが言ってたし。サビのあとに薬莢が落ちる音が入ってるところとかクサい~!(それがいい~!)

あと、この曲を一番推していたというかわいくんが、歌いだしの最初のパートとか、ラスサビ前のおいしいパートを担当してるのが愛しい。気持ちよく歌ってるかわいくんを早くコンサートで見たい。『言うならば定め』をどんな顔して歌うのか楽しみすぎる。好きすぎてけっこうリピートしているので、自分の頭の中でコンサートの妄想などもしているんだけど、曲調に引っ張られすぎずに(=暑苦しくなりすぎずに)めちゃくちゃクールに歌ってほしい…!マイクスタンドで、スマートに仁王立ちして、眉に力が入ってるあの強いまなざしで前を見据えて歌うかわいくんの姿を、勝手に思い浮かべている。

以下は完全に蛇足の感想。でも初めて聴いたときにこれを感じてしまったから好きになったのもある。

  

  • アキヅキ

リリース前の視聴等を何もチェックしてなかったから、初めてCDで聴いたとき1番を河五だけで歌ってて「事件じゃん…」って震えた曲。ほんとにびっくりした…。コンサートどうなっちゃうの!?それが楽しみでたまらないし、もしかしたら心臓もたないかもしれない。そしてこの曲で一番好きなポイントは塚ちゃんの歌声!塚ちゃん、いつかソロ曲でラブバラード歌ってほしい。舞台で塚ちゃんの演技を見るたびに、この人は声色で演じるのがうまいなあと思うんだけど、それがすごく発揮されてる。塚ちゃんの声は人の心を掴むし、揺さぶるし、時に涙腺にそっと触れてくる。Bメロの切なげなメロディは塚ちゃんはもちろん、五関さんの歌声にもぴったり。『遠くへと』の五関さんの歌声は宝。しっとり歌い上げるA.B.C-Zも最高なんですよ…!って嬉しくなる1曲。

 

  • Chance to Change

メロディがきれい!そんなメロディを歌い上げるA.B.C-Zの歌声もとても美しい。美しくも力強いから歌詞に合ってて、サビの高めのキーはちょっと切なさもにじんでる。それが、今まさにネクストステージに上がろうともがいているような、苦しんでいるような姿にも思えて、ぐっとくる。“静”の中にも熱を感じるのが、すごくA.B.C-Zらしいなって思う。1番Bメロ、かわいくんと塚ちゃんの掛け合いって何となく珍しい?よね。二人の声ユニゾンが新鮮で、いい。あと『一歩ずつでいいさ』のかわいくんの歌声が優しくて好き。最後のサビのはっしーソロパートは芯の通った強さがあって好き。

 

  • 幸あれ

A.B.C-Zからファンへのエールのスタンスが表れてる曲だと思った。A.B.C-Zはいつだってファンを支えてくれてるんだけど、それは決して甘やかしたりはしてなくて、優しさのなかにほんの少しの厳しさがあるというか、一人立ちする背中を押してくれているような応援だなって感じている。俺たちは応援するよ、でもやるのはお前だぞ!って。「幸あれ」という言葉だって、ともすれば違う道を歩む相手に向けたエールみたいな言葉だと思う。あなたの幸せを祈っています、と言ってくれたひとは、多分きっと一緒にはいない。彼らは飛ぶための風になってくれるんだけど、それをバネに一人で飛び立って、その先の空で頑張らないといけないのは、誰でもないわたしなのだ。でも不安なときはいつも彼らがエールをくれるから、一人だけど一人じゃない。だから彼らを思って頑張れる。ファンになってからずっとそうやって支えてもらってきた。そんな存在、それがA.B.C-Zで、そんな優しさと強さが表れている曲!あとは『風が吹く 向かい風でも回れ右したなら それはもう君の追い風になる』という歌詞がとても好き。君はどこへでも飛べるよ、と言われたみたいで、心が軽くなった。風が吹いたように。

 

  • FORTUNE

この曲を聴いて思い浮かべたのは夜明けのブルーアワーの青だった(ブルーアワー - Wikipedia)。世界の色がみんな澄んだ青一色に染まっていて、静かで、まだ街は眠っていて、空気は少し冷たくて、そんな夜明けの空の向こうに、昇る直前の太陽がその時を今か今かと待っている。静かに、けれど確かな未来へのパワーや躍動、希望がこの曲に詰まっている。「Chance to Change」でも感じたけれど、そんなふうに闘志を燃やすさまがすごくA.B.C-Zらしい、最高の曲だなって思った。Bメロのリズムなんて、徐々に高まる鼓動を抑えきれない、日の出へと走り出す助走、そのステップみたいだ。スポーツ大会のテーマソングなんかにもぴったりだと思う!で、曲だけを聴いたイメージはこんな感じなんだけど、コンサートはきっとめっちゃくちゃ盛り上がって楽しいだろうな…!という期待でワクワクしちゃう。かわいくんが「フェスみたいにする!」とコメントしてたけど、まさにそんな感じでノりたいし一緒にクラップしたりジャンプしたい!

 

A.B.C-Z5人の歌声が重なったとき、そこにはいつも希望が乗ってるなって思う。ちょっと高めの明るい歌声に思い浮かぶ彼らの笑顔の裏に、あきらめない、屈しない、そんな揺るぎない意志の強さが見える。「Going with Zephyr」という新たな風に乗って、その歌声で、パフォーマンスで、これからも一緒にきらめく未来を見せてほしいな、と期待している。

二度目の初恋

 久しぶりにブログを書く。書きたい、と思えた平成最後の夏だったから、このブログ名の通り“忘れてしまうその前に”今の気持ちを書こうと思う。

 

 2018年8月15日、Love Battle Tour@国際フォーラムに入った。俺たちとみんな=A.B.C-Z、だけのホールという空間は幸せに溢れていた。「花言葉」から始まった瞬間、現れた五人に、優しいイントロのメロディに、早くも、がんばって生きてきてよかった……と泣いてしまった。これは毎年コンサートのたびに感じることだった。去年のコンサートからの今日までの1年間の自分が全て報われたような気持ちになる。

 

 コンサートを通して感じたことがあった。それが、ここに残しておきたいと思った気持ちだ。かわいくんが変わっていたこと、そんなかわいくんがより一層素敵になっていたこと、そのことがすごく嬉しかった、ということ。

 かわいくん、雰囲気がまろやかに柔らかくなって、優しくなっていた。そのせいか、今まで以上に素直に、楽しそうに笑っているように見えたし、歌って踊っているときのかわいくんは全身から『楽しい!』の気持ちが溢れているように見えた。今までもそうだったけれど、それ以上だ。そして、パフォーマンスのとき以上に変化を感じたのはMCのときで、おしゃべりするときのかわいくんは、いい意味で肩の力が抜けていた。それがとにかくびっくりした。かわいくん、こんなに周りに甘えられるような人だったんだ……? って思った。そんなかわいくんの姿が新鮮で、でも本当に本当に嬉しかった。

 かわいくん一人が変わろう、甘えようと思い立ったとしても、それだけじゃ“人”というものは成り立たなくて、それはきっとそばにいて、受け止めてくれる、4人のおかげでもあるんだろうなって思った。預けようと思えた心と、預かってくれる相手がいたから。互いに信頼していないと、相思相愛でないと成り立たない。国際フォーラムの2階席から、MCを俯瞰で眺めながら、そんなことを考えた。ラビアンドピース……。かわいくんの立っている世界は優しい。そう感じた。

 その後、雑誌などの記事をチェックしてみると、かわいくん自身の発言でも甘えられるようになった、メンバーに頼れるようになった、ということを何度も目にして、それに対して甘えられるようになって嬉しいよ、と言ってくれるメンバーもいて、もう自分がどこの目線から見てるか分からないけれど、ちょっと泣いた。もちろん嬉しくて。自然体になった今のかわいくんのトークは今まで以上に楽しくて、面白い。見ていて、聞いていて、こちらまで楽しくて幸せになれる。それだけじゃない。いい意味で力が抜けたからこそ、何だってできるって言えちゃうの、最高で最強だなって思う。力は抜けてるけど、かわいくんの中にはかわいくんがコインロッカーなどを経て掴んだ確かな自信がある。

 ずっとかわいくんは頑張っていた。道を切り開いてきた。その手に剣も盾も両方持って、それなのに何も重くないよって顔で笑うかわいくんはかっこよかった。そして、頑張っているかわいくんは、剣を握りしめる力があまりに強いから、その手が傷ついているようにも見えた。今、かわいくんは自分を傷つけていない、と思う。優しくなったかわいくんは、多分きっと自分のことも大切に出来ているかわいくん、だと思う。それってもう、最高で最強以外の何者でもない。

 ちなみにコンサートの日の夜、わたしはこんなことを呟いていた。

今のかわいくんはすごくナチュラルで、自分を大切に出来ているからこそ相手も大切にしている、ラブアンドピースなかわいくんに見えた。自分の身も何も削ってない、削らないからとがってない。わたしはかわいくんにかわいくんのこと大切にしてほしいと願っていたからとても嬉しかった。

https://twitter.com/matsuge_kurun/status/102978463878744
http s://twitter.com/matsuge_kurun/status/1029784638787440646

 それから、8月18日19日にコインロッカー・ベイビーズの再演を観劇した。舞台に立つかわいくんの姿が、役を演じるかわいくんから感じられる熱が大好きだと改めて感じた。かわいくんの演技は、いつだって役に対して真面目で、真摯だ。だからこそどんな一瞬を切り取っても、声色ひとつ、指先の動きひとつ、その全てに意味があって、説得力がある。それから、演技しているときのかわいくんの目が本当に好きだ。力強くて、役が生きている、生命力が宿っているのをひしひしと感じる目が、たまらなく好きで、いつだって魅了される。

 何より、そんなかわいくんの演技を存分に発揮できる作品にかわいくんが立っているということ、それが本当に嬉しかった。好きな人がいる現場が好きな現場とも限らない。けれどこの舞台は、観ることが出来てよかった、出会えてよかった、と心から思える、幸せな舞台だったと思う。きっと、かわいくんにとってもそうであったと思うし、それが嬉しい。

 

 あと、これは担当のひいき目かもしれないけれど。いやいや、自信を持って言いたいんだけれど。肩の力が抜けて、自信を身に着けて、そんでもって元人見知りですと言えるようになった今のかわいくん、その内面の変化がビジュアルにもすごく出てるなって思う。かわいくん、きれいになったよね。あと甘えるようになったせいか、かわいさもより一層だよね。少クラを観ているとかわいさに震えることがある。初めてかわいくんを見た日からずっときれいだしかわいいし何よりかっこいいと思っているけれど。今、もっともっときれいになった。そして断言する、かわいくん、これからももっときれいになるでしょう……。

 

 そんなこんなで二つの現場を経て、進化していくかわいくんのこと、これからもずっと追いかけたいって思い直せた夏だった。これだからかわいくんの担当は辞められないなって思った。そんな2018年、平成最後の夏。ありがとうかわいくん。ずっととか絶対とか、永遠なんてものはないと分かっていても、それを願いたいくらい、かわいくんのことが好きだし、これからも好きでいたいと思ったし、ずっとずっとかわいくんが幸せでありますようにと祈っています。

変化について

 わたしが一番最初に好きになったジャニーズは嵐で、好きになったのは2012年の春のことだった。どうしてかというと、ズバリ現実逃避だった。

 

 2012年の3月に、わたしは自分の父親の余命宣告を受けた。3月に入院して、だいたい宣告通りの8月に帰らぬ人となった父。その半年の間、平日は仕事をしながら父のことを思い、仕事の帰り道で周りに誰もいないと分かると泣きながら歩き、毎晩お風呂のなかでまた泣き、毎晩布団のなかでも声を殺して泣き。週末は、眠ってばかりでほとんど会話も出来なくなっていた父のお見舞いに行く。病室で、父を見ながらぼんやり過ごす。そんな日々だった。もうすぐ父は死ぬんだと思い知らされ続けないといけない、そんな毎日から逃げたくて、あるとき滅多に見ないテレビのバラエティをぼんやり眺めていたら、たまたまやっていたのが今はなき『ひみつの嵐ちゃん』だった。それから、嵐の五人がわたしの毎日を救ってくれた。彼らを見ている間だけは悲しい気持ちを忘れられたし、楽しかった。コンサートのDVDも買った。初めて見るアイドルのコンサートはとてもキラキラしていて、どこか別の世界にいるようで、もうすぐ父が死んでしまう現実とは違うどこかへ、その時だけでも飛んでいけるような気がした。

 父が死んでからもたくさん支えてもらった。嵐の出るテレビ番組と、嵐のコンサートDVDの中だけに救いがあった。その後えびと出会い、ファンになった。初めての担降りを決意した。けれど、アイドルが現実逃避の場所ということは変わらず、変わりたいなあと思っても変えられずに、どこか妄信的に彼らを追う日々が続いた。このブログの一番最初の記事を読み返すと、その頃の気持ちを思い出さずにはいられない。好きなことには変わりないけれど、ずっと彼らの存在に縋っていた。それがどこか後ろめたかった。

 

 けれど、最近になってようやく、少しずつ、アイドルに傾きすぎていた自分が、自分の力で、自分の二本の脚で、真っ直ぐ立てるようなってきたような気がした。

悲しみ っていつかは 消えてしまうものなのかなぁ…

 悲しいとき、よくSmap夜空ノムコウ」のこの歌詞を思い出して考えていた。ずっと考えて、最近思うようになった一つの答えは、消えなかったなということ。わたしの中の悲しみは消えてはいないけれど、一緒に歩いていけるようになった、とは思う。悲しい気持ちを受け止められるようになった。そう思えてから、少し心が軽くなった。自立して、それから一歩ずつ、足が前に出るようになった。

 

 もう、悲しみから逃げたくてアイドルに縋らなくても大丈夫だ。現実逃避から彼らを好きでいるなんて、もう思わない。なんとなくそう思えたので、久しぶりにブログを書いてみた。これからは、身軽になった心のままに、素直に好きでいられたらと思う。そうは言っても、またすぐに落ち込んだり悲しんだりすることだってきっとあるかもしれないけれど、そんなときは「特別な君へ」の歌詞を思い出すことにする。

 

(4/1追記)

 この記事を書いたせいか、昨晩の夢に父が出てきた。内容は思い出せないけれど、多分、何でもない日常、そんな類の夢だったような気がする。目が覚めたとき、涙は出なかった。去年くらいまでは、あったかい夢でもかなしい夢でも、内容に関わらず父の夢から覚めるといつもぼろぼろ涙が出ていたというのに。

 確かに、一歩ずつ前に進めているのだ。

運命が何だ、裁きとは何だ?

 2015/7/24 2:15に殴り書きしたまま下書きに眠っていた文章を救済することにします。しっちゃかめっちゃかだし、この考えは自分ひとりでたどり着けたものではなくて、色んな人の考察からとても影響を受けているし、きっと正解じゃないけれど。でも改めて読んだら、あの頃の熱量がこれでもかというくらい詰まっていたから。せっかくだから。というわけで。

 最初、ファウストという舞台を考えれば考えるほどに、結局は皆、神様の手のひらの上にいるんだという絶望だけが深まっていった。メフィストに賭けを持ちかけた神様は、最後にメフィストが賭けに勝ちながらも『人間とは素晴らしい』ということに気付くということを知っていた。知っていた、というか、全ては神様が描いたストーリーの上で進んでいるのだから、当然だ。マルガレーテという存在も、彼女が、二度目の人生を歩むファウストと出会う運命も、全ては神様の決めた宿命。ファウストが自ら努力して生きながらも、あんな最期を迎えることも、みんな。そう思うと……結局は……、という諦めのような絶望のような、何ともいえない気持ちばかり膨らんでいった。

 けれど、そこで諦めてはいけないということこそ、この舞台が教えたくれたことだったのかもしれない。メフィストファウストの願いを聞き入れる前に「大きな試練になる」「破滅」「覚悟が試される」などと言っていた。ファウストとマルガレーテが出会った先に待ち受けている運命を、ある程度メフィストは分かっていたのだろう(劇中にオフィストやリリスもそんなことを言ってる)。しかし人間であるファウストは、「自分の未来なのだから自分でやり遂げたい」と、困難に立ち向かおうとする。人間は、自分の未来は自分で切り開けるものなのだと信じている。そのために努力して、もがき、頑張って生きていく。それを愚かだと笑うだろうか?メフィストはその姿を笑わなかった。「そんなことはない、貴方は立派だった」。それこそが人間なのだと、努力する姿を認めたのだ。

 結果だけ見れば、ファウストは一度目の人生で妹を失ったように、二度目の人生でもマルガレーテを失うことになる。それも、妹と同じように彼女が自ら命を絶つ形で。そこに彼女らの魂の宿命を感じるというか、どこまで行っても神の宿命は変えようがないのかもしれない。けれど二度目の人生で、ファウストは満足した。満足のいくだけのことはしたのだ。神はそれさえも分かっていたかもしれないけれど、もしかしたら人間とは、神の想像を超える努力をし、いつか神の宿命さえも変える力を、神に抗う力を持っているのかもしれない――と、メフィストファウストから感じたのではないか。「神よ、間違うでないぞ。その人間こそが素晴らしいのだ」という最後のセリフは、全ての運命を操っている神への、それこそ『挑戦』なのかもしれない。

 ファウストも終盤のシーンで「何が裁きだ?誰が彼女を裁こうというのだ!」と言っていた。あれほど、死にたくないと神に縋っていたファウストが。メフィストはこの結末を「これが宿命」「神の裁き」と言っていた(諦めていた)、けれどファウストは待ち構えている未来を神のせいにはしなかった。最後まで諦めなかった。その姿勢がメフィストの心を動かし、人間とは何かを教えた。

 地獄へ連れて行くという契約だったはずのファウストの魂を解放してやるのは、人間のように『愛』を知ったメフィストなりの愛情なのだと思っている。神の作った箱庭から、ファウストを自由にさせてやりたかったのかな、と。それまで『宿命』だと受け入れてきたメフィストが、人間と同じように自分の手で未来を変えようとしたのだ。神の作る魂の輪廻に抗った。そうして、ファウストの言った通り、メフィストはもうきっと、悪魔ではなくなったのだろう。

◇◇◇

 色んなこと考えていたんだなあと懐かしくなりました。今ファウストと向き合っても、きっとこんなに色々と考えられない。ぐちゃぐちゃな言葉でも、残しておいて良かった。

大阪公演を前に

 わたしはファウストという舞台が好きだ。だって、ファウストという役を演じる河合くんに胸を打たれるから。大好きだから。全身全霊を傾けて輝く河合くんが、あの舞台にはいます。だから、わたしはファウストという舞台と向き合いたい、分かりたい、自分なりに納得したい、満足がしたい。どの言い回しも、表情も、どの演技をとっても河合くんなりに考えた結果であるだろうし、その結果へと至る理由があるのだろう、と。あまりに言葉の足りない、説得力に欠ける作り方であっても、わたしは河合くんの演技を、それほどまでに信じています。全てのことに、意味はあるんだよ。

 そんな風に、ファウストと向き合った、河合くんのことを思った、7月23日。

「A.B.Sea Market」発売おめでとう

 「特別な君へ」がすごく好きだ。何でこんなに優しいんだろう? この曲の歌詞すべて、いつもこちらが彼らに対して感じる気持ちなのに、それを他でもない彼らが歌い、伝えてくれることが、本当に嬉しい。聴いているといつも泣いてしまうのだけれど、メソメソしているところに『君が泣きたい時は~』と歌われて、さらに泣いてしまう。そんなことをずっと繰り返してる。ああ、本当に好きだな。

 自分が、こんな真っ直ぐな歌詞を、真っ直ぐにそのまま受け止められることにも驚いた。『ずっと』とか『一番』とか『一緒に』とか……。以前の自分はそんなフレーズを並べられても一歩引いて疑ってしまったし、安っぽいな、なんて思っていた。けれど彼らに出会って、自分の心はいつの間にか、彼らに対して隔たりを無くしていた。それほどまでに、A.B.C-Zのことが好きになっていたんだ、と気付かされた。不思議なくらいストンと、彼らの言葉なら信じられてしまう。言葉の一つひとつが心に染み込んで、ありがとう、と素直に思える。だから、「特別な君へ」という飾り気のない真っ直ぐな曲が、本当に嬉しくて、好きなのだと思う。

 

 もう一つ、この曲は“いつか”のこともちゃんと歌っているのが、切ないけれど、嬉しかった。何事にも永遠はなくて、必ず終わりはあって、必ず別れがある。ファンがファンを辞めるときって、実はすごく簡単で、ほんのちっぽけなきっかけだったりする。今までバンドだったり声優だったり他のアイドルだったり、色んなオタクをしてきたので、よく分かっている。今のわたしはこれほどまでに彼らが好きだけれど、昔好きだった色んな人たちと同じように、いつか離れる日がくるんじゃないかと思ってしまう。そう思うと怖くなる。永遠に彼らを好きでいることはないであろうことが怖いのだ。

 けれどそんな気持ちも「特別な君へ」の歌詞で救われたような気がした。

いつかは はなればなれになっても

一緒に過ごした日々は消えない

 

いつかは はなればなれになっても

目を閉じれば 君の笑顔溢れてる

 きっと、今こんなにも好きでいる気持ちがあったという記憶は、ずっとわたしの支えになってくれるだろうなあ。彼らとの出会いは、好きだった日々は、いつか『はなればなれ』になったその時も、わたしの心に残り続けるんだろうなあ、と。だったら大丈夫だと思えた。それなら寂しくないなとほっとした。こんなことを思いながら聴いてると、やっぱりまたメソメソ泣いてしまうこともあるけれど、でも、だからこそ今は寂しくなったりしないで、しっかり彼らのことを好きな気持ちを大切にしよう、と前向きになれたりもした。

 

 そして、最後に橋本くんが歌い上げる『ずっと ずっと』が大好きなのだ。初披露の少クラが夕日の色だったからかな。この橋本くんの歌声が、頭上に広がる夕焼けの空に天高く昇っていくような。ずっとという祈りを空に放つような。そんな感覚がする。橋本くんの声は綺麗で、力強いのに繊細で、優しくて、誠実だ。だからなおさら、この言葉を信じられる。

 

 他の曲のことも、特典映像のことも、感想は沢山書きたいけれど、まずは感じた気持ちをそのまま、残しておく。初めて聴いたときにポロポロと涙が零れた、この気持ちを残しておきたかった。でも最後にこれだけは。A.B.C-Z「A.B.Sea Market」発売おめでとう!デイリー1位、おめでとう!

ルードウィヒが好きだった

 ルードウィヒ、もう二ヶ月以上も前の舞台なんですね。すごく今更なルードウィヒの感想を、ようやく下書きから引っ張り出してきた自分の遅筆っぷりが憎いです。

 

まず自分が入った日メモ。

東京公演…11/27(初日)、11/30夜、12/6昼夜(楽)

大阪公演…12/13夜、12/14昼夜(大楽)

 

 橋本くんのルードウィヒの演技について。演じる…というか、彼はルードウィヒとして生きていました。時折アドリブなどの際に垣間見える橋本くんらしささえ、ルードウィヒというキャラクターの邪魔をしていなかった。毎日舞台の上でルードウィヒとして生きて、生き抜いて、その生涯を終えていました。

 河合くんの演技はそれとは逆、というか、すごく別物。モーツァルトユリシーズというキャラクターを綿密に作り上げ、計算し尽くされた演技をして…そして、それをごく自然に、河合くんという役者に馴染ませていました。自然なのに、殆ど河合くん寄りのアドリブも挟むのに、役作りに隙がなかった。

 

 橋本くんは回を追うごとに素晴らしくなっていきましたね。毎日の公演で、ルードウィヒとして生きた3時間の中で芽生えた気持ちや、役者の橋本くんとして感じたことを、きちんと噛み砕いて昇華して、次回の演技に加えていったのでしょう。偉そうなことを言っても、わたし自身は飛び飛びでしか観劇出来なかったのですが、毎回観劇するたびに進化していく橋本くんには感心してしまいましたし、どこまで成長するの!と驚いてばかりでした。

 橋本くんの、全身全霊でルードウィヒを生きようとする熱が、そのままルードウィヒというキャラクターの体温となり血潮となって。見る度に、わたしのなかで二人の境界が曖昧になっていきました。上手く言葉に出来ないけれど、ルードウィヒのことを、ルードウィヒという橋本くん、橋本くんというルードウィヒ、と思うようになりました。そしてそのどちらも、どちらもまとめて一つの存在として愛しくなっていきました。橋本くんだからこそ、ルードウィヒのことがこんなにも好きになれたんだろうなあと思います。そうしてどんどん好きになり…どんどん感情移入して観るようになり……どんどん泣く回数も増えました。ハンカチ握りしめて観てました。

 

 ところで、わたしは心のどこかで、橋本くんがどれだけやってくれるのか、少しだけ不安でした。雑誌のインタビューやジャニウェブなどを読むたびに、橋本くん大丈夫かな、という気持ちが募っていったんですね。とにかく見守るような思いで初日に臨んでいたような気もします。

 けれど橋本くんは、そんなネガティブな気持ちを吹き飛ばしてくれて、わたしをルードウィヒという存在の虜にさせました。河合くんと比べると、確かに余裕こそあまり感じられなかったかもしれませんが、本当に立派に主演を全うしたと思います。そりゃあ、河合くんも褒めまくりますよね!加入当初から教育係だった河合くんが、誰よりも一番近くでその成長を感じ、誰よりも一番感激していたことでしょう。嬉しかっただろうなあ、河合くん。

 

 そして、河合くん。河合くんは改めて、素晴らしい技量を持っているのだなあと感じました。二役を演じ分けること、それがブレないこと、けれどきっちり『河合郁人』の味も出すこと。河合郁人だもの、当たり前でしょう?と見せつけられました。サラリと。特にモーツァルト先生のインパクトはすごかった!出ている時間はそれほど長くなかったけれど、確実にその間は客の心をガッチリ掴んで、かつ弄び(笑)、そして風のように去っていきました。橋本くんが「一緒で良かった」と思える存在なのだと確かに感じました。それだけ安定感と心強さがあった…。見る側の自分も、2014年二度目の外部舞台(かつ今回は主演ではないですし…)ということで心に余裕があったのかもしれませんが。

 けれどその反面、もっといけるよね!?河合くん!とも思いました。ちょっとだけね。100%は見せてもらえたけれど、河合くんはもっともっと、200%持ってる…よね!?と。まあ、ファンの勝手な欲ですけどね…人とは勝手に夢を見るものなので…。けれどまだまだ期待出来る、っていうのも嬉しいことです。ポジティブ!もっともっと河合くんの演技を見たいです。色んな河合くんの演技を見たい。河合くんという役者への期待がさらに膨らんだ、一人二役でした。

 あと、全体的に笑いを誘うシーンの少ない舞台で、河合くんがお笑い要素を担っていたこと、演者としてお笑いを任されていたことも、嬉しかったです。結構重要な役回りだったんじゃないかなって。シリアスな場面の多かった舞台で、笑いの塩梅ってきっとすごく難しかっただろうし、プレッシャーもあっただろうなあ、と。それを感じさせない、毎回のアドリブでした。

 

 二ヶ月が経った今でも、ふと劇中の音楽を口ずさんでしまうことがあります。目を閉じて耳を澄ませれば、ピアノの音や二人の歌声が聞こえてきます。音楽だけではなくて、ルードウィヒの様々な表情だったり、甘い声だったり、悲痛な叫びだったり。そして勿論、ラストの第九、指揮するルードウィヒの姿、鳴り止まない客席の拍手。「喜劇は終わった」の声も、しっかりとこの耳が覚えています。わたしはあの一言が聞きたくて、苦悩を突き抜けて歓喜へと至った彼の生涯を見届けたくて、劇場へ足を運んでいたのかもしれません。ルードウィヒのことが好きでした。橋本くんの力で、これほどまでに好きになれました。だから、彼のことを、彼を演じる橋本くんのことを、この目で見届けたかったのです。

 

 舞台が終わって少しして、ふと橋本くんと河合くんのエピソードで思い出したことがあります。有名な、河合くんが橋本くんに言った「俺たちが裏で引っ張るから、お前は表で俺たちを引っ張れ」、という言葉。勿論その言葉はグループについての言葉なのですが、今回の舞台の二人はまさにそんな関係だったなあと、千穐楽のカーテコンコールに立つ二人の姿を見て思いました。舞台のセンターに立つ座長の橋本くんは本当に立派でしたし、その横に立って橋本くんを見守る河合くんは、不安を抱えていた橋本くんを裏で支え、ひっそりと引っ張っていたんだろうなあ…と。支え合い、高め合い、グループを飛び出した外部のお仕事で、そんな二人の姿を見ることが出来て嬉しかったです。

 

 素敵な舞台だったなあ、と思い出すたびにしんみりします。どれだけ時間が経っても、わたしのA.B.C-Zに関する思い出のなかで、きっととても大切で愛しい経験としてキラキラ光を放っているでしょう。そして、二人が次に舞台に立つ姿が、楽しみで堪らないです。今年もまた、新しい演技のお仕事が決まりますように。ルードウィヒを経た二人に、期待でいっぱいです!

1年

 一年前の今日、わたしは初めてA.B.C-ZのDVDを手に取りました。その年の2月か3月頃から、少しずつ気になり始めていた彼ら。えびちゃんずーの女装回が放送された日の夕方、わたしは遂に「Za ABC~5stars~」を買いました。それより前から少クラやえびちゃんずーも見るようになりつつあったのですが、やっぱり「Za ABC~5stars~」を初めて見たあの日が、今の自分に繋がる始まりの日だったと思います。

 

 この一年、まさに彼らの歌詞にもあるように『転げ落ちるみたいに加速して』いった一年でした。DVD作品を一つひとつ見るたびに、毎週放送のザ少年倶楽部やえびちゃんずーを見るたびに、アイドル誌を読むたびに、そして何より現場に行って彼らに出会うたびに、どんどん好きな気持ちが加速していきました。目まぐるしくも幸福に満ち溢れた、とても充実した日々でした。

 何となくのイメージなのですが、最初こそ急な坂道をあれよあれよと転がっていたけれど、いつしかわたしはジェットコースターに乗っていました。その先頭には楽しそうに笑う彼らも乗っています。ジェットコースターから見える景色はくるくると変わり、色んな場所を走り抜けるので、乗っていて全く飽きません。ずっと楽しいままなのです。わたしの加速していった一年はそんな風に走り抜けて、二年目へと辿り着きました。

 

 A.B.C-Zがこの一年でわたしに見せてくれた沢山の景色。

 初めての現場は「ジャニーズ2020WORLD」、後輩をしっかり支え舞台を引っ張っていく、仕事人の彼らに出会いました。「from ABCtoZ」、記念すべき初めてのCD発売をお祝い出来ました。ザ少年倶楽部、河合くん最初の司会の日は、テレビの前で思わず拍手してしまいました。「ABC座2014ジャニーズ伝説」、ABC座・座長としての彼らを観ることが出来ました。「ファウスト」、大好きな河合くん、そして五関くんの主演舞台を見ることが出来ました。「出発」「イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー」「ルードウィヒ・B」、河合くんだけではなく、メンバー全員の外部舞台に立つ姿を見ることが出来ました(橋本くんはいよいよこれからですが!)。「魔法男子☆チェリーズ」、メンバー全員と言えば、5人主演のドラマも初回から最終回まで、ずっと追いかけることが出来ました。「Summer Concert 2014 Legend」、キラキラのつまった熱いコンサートを見ることが出来ました。どれもみんな大切な記憶となって心に残っています。思い出すたびに、胸がいっぱいになります。

 わたしが好きになってからの彼らは、こうしてずっと走り続けていました。……勿論、わたしが好きになる以前の彼らも、ずっとずっとひたすらに、がむしゃらに走り続けていたことでしょう。全ての仕事を、どれも手を抜くことなくきっちりこなして積み重ねてきた上に、今の彼らがいるのでしょう。だからこそ、もっと昔に彼らを知っていたらと、ジュニア時代の出演作を映像ではなく生で見ることが出来ていたらと、思うことだってあります。けれど、そんな気持ちは彼らのジェットコースターに乗っているとすぐに吹き飛んでしまうのです。何より今、今が幸せ。先に挙げた、沢山の景色がそう思わせてくれるのです。新しい景色を見せてもらうたびに、今この景色を見ることが出来て幸せだなあと思えます。この景色を見るために、わたしは今、彼らを好きでいるのだなあと思います。

 

 毎日好きな気持ちは増すばかりですが、改めて一年を振り返ってみると、特に記憶に残っている大事なタイミングが二度ありました。

 一つは、三月のミュージックステーションで「5 Rings」を披露した日です。A.B.C-Zを好きだという自覚はあれど、何故だかまだ、“一番”だと言い切る勇気、担当を名乗る勇気のなかった頃。わたしはあの時、緊張していた覚えがあります。ワクワクドキドキが圧倒的に占めていたのですが、その裏に、少しのハラハラを隠していました。そうして始まった生放送のパフォーマンス。彼らの気合いは凄まじく、一瞬にして心奪われました。勿論彼らの実力を見くびっていたわけではなかったのに、凄いものを見てしまった、と茫然とさえなりました。そして、あっという間に終わってしまいました。終わった瞬間に泣いていました。その時の感情を言葉にすることは今でも難しいです。ただ彼らに圧倒されて、心が動かされて、涙が出たのです。あの日から、わたしは胸を張って彼らのことが“一番”だと思うようになりました。

 もう一つは夏のツアーです。わたしの初日は8月15日の大阪公演でした。一年生のわたしにとって、その日が初めてのコンサートでした。ずっとトゥインクルツアーのBDを見続け、ずっと楽しみにしていたA.B.C-Zのコンサート。コンサートに行けることが、とにかく嬉しくて堪らなかったです。ペンライトと、前日に作った河合くんのうちわを握りしめながら今か今かと開演を待ちました。そして遂にコンサートが始まり、ステージに立っていたのは、ずっと待ちわびていたアイドルの五人。勿論、役者として舞台に立つ彼らと比べる訳でもないし、どちらが好き嫌いという話でもありません。けれどやっぱり、コンサートで歌い踊るアイドルの彼らにずっと会いたかったのです。やっと会えた、そう思いながら、一曲目に始まったのは「FinallyOver」でした。彼らの熱く固い決意のみなぎる、何て強い曲なんだろうと思いました。ずっと会いたかった彼らに、聞きたかった言葉をもらったような気持ちになりました。迷いのない腕に「こっちだ」と引っ張り上げられたような感覚。この腕に連れられて、もっとこの先にある彼らの未来を見てみたいと思えました。ああ、彼らを好きになって良かったと心から確信し、コンサートが始まって早々に泣きながらペンライトを振っていました……。コンサート自体も最初から最後まで本当に楽しくて、夢のような時間でした。大阪最終公演の「Legend Story」を客席が歌ったときの五人の幸せそうな表情。幸せに満ち溢れた空気。この世界に、こんなにも幸せで楽しい空間があるなんてと、大げさに聞こえるかもしれませんが思いました。

 

 これからまた、どんな景色を見せてもらえるのでしょう。果たしてどんな道を進むのか、どんな仕事をするのか。わたしはまだ見えぬ道に対して不安があまりありません。ただ一つだけ言えるのは、それがどんな道であろうと、その道を歩む彼らは、きらきらと星をまとい輝く、正真正銘のアイドルだということです。夢や希望を見せてくれる存在です。かっこよくて、最高な五人です。暗い道になろうと、険しい道になろうと、きっと彼らが歩めば明るくなると思っています。

 さっそく今週は「ルードウィヒ・B」も始まります。今までに見たことのない橋本くんと河合くんに出会えることでしょう。どんな二人が舞台にいるのか、楽しみで仕方ありません。

 

 わたしはA.B.C-Zが大好きです。好きな人へ真っ直ぐに好きだと叫ぶことや、誰かに夢や希望を思い描き、共にその夢を見ること。年を重ねるたびにそんな感覚から遠ざかっていたような気がしますが、彼らを好きになってから、そうしてみたいと思えるようになりました。他でもない彼らが、曇りのない強い眼差しでわたし達に希望を歌ってくれるからかもしれません。ずっと一緒だよと愛を叫んでくれるからかもしれません。そんな彼らを好きになって本当に良かったです。そんなことを思いながら、これからも毎日楽しく彼らを応援していけたらと思います。

 

 以上!これからも、宜しくね。