変化について

 わたしが一番最初に好きになったジャニーズは嵐で、好きになったのは2012年の春のことだった。どうしてかというと、ズバリ現実逃避だった。

 

 2012年の3月に、わたしは自分の父親の余命宣告を受けた。3月に入院して、だいたい宣告通りの8月に帰らぬ人となった父。その半年の間、平日は仕事をしながら父のことを思い、仕事の帰り道で周りに誰もいないと分かると泣きながら歩き、毎晩お風呂のなかでまた泣き、毎晩布団のなかでも声を殺して泣き。週末は、眠ってばかりでほとんど会話も出来なくなっていた父のお見舞いに行く。病室で、父を見ながらぼんやり過ごす。そんな日々だった。もうすぐ父は死ぬんだと思い知らされ続けないといけない、そんな毎日から逃げたくて、あるとき滅多に見ないテレビのバラエティをぼんやり眺めていたら、たまたまやっていたのが今はなき『ひみつの嵐ちゃん』だった。それから、嵐の五人がわたしの毎日を救ってくれた。彼らを見ている間だけは悲しい気持ちを忘れられたし、楽しかった。コンサートのDVDも買った。初めて見るアイドルのコンサートはとてもキラキラしていて、どこか別の世界にいるようで、もうすぐ父が死んでしまう現実とは違うどこかへ、その時だけでも飛んでいけるような気がした。

 父が死んでからもたくさん支えてもらった。嵐の出るテレビ番組と、嵐のコンサートDVDの中だけに救いがあった。その後えびと出会い、ファンになった。初めての担降りを決意した。けれど、アイドルが現実逃避の場所ということは変わらず、変わりたいなあと思っても変えられずに、どこか妄信的に彼らを追う日々が続いた。このブログの一番最初の記事を読み返すと、その頃の気持ちを思い出さずにはいられない。好きなことには変わりないけれど、ずっと彼らの存在に縋っていた。それがどこか後ろめたかった。

 

 けれど、最近になってようやく、少しずつ、アイドルに傾きすぎていた自分が、自分の力で、自分の二本の脚で、真っ直ぐ立てるようなってきたような気がした。

悲しみ っていつかは 消えてしまうものなのかなぁ…

 悲しいとき、よくSmap夜空ノムコウ」のこの歌詞を思い出して考えていた。ずっと考えて、最近思うようになった一つの答えは、消えなかったなということ。わたしの中の悲しみは消えてはいないけれど、一緒に歩いていけるようになった、とは思う。悲しい気持ちを受け止められるようになった。そう思えてから、少し心が軽くなった。自立して、それから一歩ずつ、足が前に出るようになった。

 

 もう、悲しみから逃げたくてアイドルに縋らなくても大丈夫だ。現実逃避から彼らを好きでいるなんて、もう思わない。なんとなくそう思えたので、久しぶりにブログを書いてみた。これからは、身軽になった心のままに、素直に好きでいられたらと思う。そうは言っても、またすぐに落ち込んだり悲しんだりすることだってきっとあるかもしれないけれど、そんなときは「特別な君へ」の歌詞を思い出すことにする。

 

(4/1追記)

 この記事を書いたせいか、昨晩の夢に父が出てきた。内容は思い出せないけれど、多分、何でもない日常、そんな類の夢だったような気がする。目が覚めたとき、涙は出なかった。去年くらいまでは、あったかい夢でもかなしい夢でも、内容に関わらず父の夢から覚めるといつもぼろぼろ涙が出ていたというのに。

 確かに、一歩ずつ前に進めているのだ。